ごあんない
以前の記事
タグ
検索
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
>「おまえの感想文を書きましたー!」(上手に焼けましたー!)
>というのを知らしめるトラックバック マメとトラックバック という1文からの思いつき。 たとえばマンガ好きがいたとします。どっかの雑誌でマンガ評論家対談!つってもこいつらマンガ読んでねえなあって毒づいちゃうわけですよ。なんで評論なんて行為をするのかなー、創作の一種ではあると思う。コミケのアニパロくらいの創作っぷりだと思う。というかすべての創作活動は評論の一種かもしれない。だからまあ、止めろっていうようなものではないと。で、評論っていうのはそのコンテンツを受け止めた側が、言語化して整理するもんなんですよね。俺はこう読んだ。みんなはどう?っていうもの。言語化するとき、その漠然と存在しているだけの感情と思考が、さも立体物を平面的な写真にうつしとるように、固定しちゃうんです。奥行きがあるかもしれない、運動してたかもしれない、そういうのは殺ぎ落とされて、論理展開する上で必要な部分だけが、文章として残る。 これは、評論家が得た感情や思考そのものではありません。限りなく近いけど、別のものです。たとえば、円周率という概念があります。これば便宜上、円周率、πと名づけた無理数ですわな。これは便宜上の名称であり、本質ではない。円周率の正体は無限に連なる小数点以下の数字であるので、約3、約3.14、約3.1415、べつに間違っちゃいないのです。これ小数じゃなくて分数で表しても、およそ正しいという点では等価ですね。必要になる精度の分だけ小数点以下をいくらでも計算すればよろしい。このように「間違っちゃいないけど真実でもないようなもの化」が評論と思います。 別の例えをするならば、昆虫を研究したいとする。昆虫は隠れてたり、動いたりするので、見つけにくいです。変な場所に住んでるし。そこで昆虫標本にします。標本は、昆虫のフォルムをそのままとどめた物質ですが、でも生きてないですね。そいつが住んでた場所にもいません。箱の中にいます。本質と評論の差異です。そこで学者は多角的に、スケッチと標本といろんな調査を見比べて本質に迫る。 それでですね、なまじ評論なんかすると、死ぬんですよ、昆虫が、標本みたいになる。くわしく知らないんですが、仏教で言うところの不立文字と同じと思いました。真理は文字によって説明できないものである。だから書き留めて理解するのではなく、本読んでわかった気になるのではなく、修行を通じて真理に直接触れろ、と。適当に書いてます。全然違う意味かも知らん。所詮バイトだからな。 最近、他人のウェブの文章見てて、なかなか言語感覚が鋭いなと思うものが散見されます。ブログとか掲示板とか。以前はツッコミセンスがすぐれていると感じたが、最近は時制に関する鋭敏さは不必要なのか失われて、言語感覚が尖ってきてる。低年齢化しているのかもしれず、その影響も加味せねばなるまいが。 それは松本や板尾の功績であり、コサキンやら伊集院やら電気やらナンバーガールだったりすると思うのですが、そういった光る言語感覚をなんとか抽出して衆目に披露したいと思ったんですね。ですが、やっぱり評論っていうのは、「今の笑い話のどこが面白かったかというと」っていう蛇足の説明に過ぎぬのですよ。必要か不必要かっていうと必要ですが、そのジャンルの作品の質の向上、そのジャンルに身を置くもののためになるか、役立つかって言うと、答えは否です。その作品を現在楽しんでいる俺が評論を読んだら、逆につまんなくなるんです。いや嘘。こういう視点もあるのかっていう発見はおもしろいけどさ。というようなことを、ガバっと思考して文章にしたら陳腐化した。 で、追記。こういうくだけた文章というか、きちんと推敲されてないように見える文章、 ウェブで最近よく見ます。フォーマット化されてないというフォーマットかとも思うのですが、これが頻出する理由は何かというと、おそらく、得た思考や感情を、なるべく素直にそのまま素材を活かしたかたちで提供しようという誠意の表れではないかと。推敲したり整形したりすると、激しく腐るんでしょうな。書き手の意識として。意識して壊した文体にしているという人もいますよね。全人類が、こんなに文章を書いたり、他人の文章を読んだりする社会って、今までなかったんですが、このシステムの変化の影響で、書き手や読み手の意識は改革されつつあると思われます。 ニュー・タ・イ・プ。 すでに、個々人の脳はゆるやかに結合され始めているのではないか。それゆえ、評論の形式化はさほど重要じゃないのでは。 むしろフォーマット化されてない文章のほうが、逆に洗練されているかもしれないのです。特定の用途においては、すぐれて機能的なのかもしれないのです。で、そういった状況下にある文章が現れて、俺がこんなことを感じて、文章にして、という無限ループ。以上。
by exitemegane
| 2004-06-14 14:01
| 暮らしについて
|
ファン申請 |
||