ごあんない
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お返事します。バイトなのでわかりません - 架空の人物の人権と、彼我の世界の関係についてに対して you_feel_so_good さんがおめでたい - testで疑問を出されました。コメントでお返事したかったのですが、ちょっと量が多くなってしまった。 いろいろ書いてみます。疑問に対して答えられているかどうかわかんない。自分の記事が必ず正しいとは思ってません。疑問があったらまたお願いします。 順番的には先の自分のエントリの後になると思います。興味ある方はそちらからお読みください。そんでダメだと思うところを教えてください。 ちなみに規制すると出版社が大量に潰れそうだよ、みたいな話はスルーしてます。 先のエントリを書いた動機。あれは「現実と空想の区別がつかないから犯罪行為をするんだ」という主張にむかついて書いた記事なのでした。タイトル通り、本当は現実と空想をくっつけたいんだよって言いたいだけだったんです。実は児童ポルノなんて別にどうでもよかったんだよね。規制されようがされまいが大して自分に関係ないのです。 架空の人物に人権があるの? ないの? 現実と空想、それぞれの立場ってどんなんなの? っていうことについて考えてみた文章のつもりだった。 やっぱ取り巻く状況を詳しく知らないで口を挟んだのは間違いだった。すべての性犯罪やそのほかの暴力的なこととかに広げたほうがよかったかも。言葉が足りてませんでした。本題じゃないつもりだったんだけど、書いた手前、説明したいと思います。できるかな。 空想がどうとか言ってる以上、そのうち考えなきゃいけないことだったんです、きっと。 だから今から考えてみます。 変態性欲と一般的な性欲の境目は法律以外にないと思っています。すべてはフェティシズムで、たまたま異性の性器周辺に興奮できる人だけがノーマルなんだと。 法律に反する形でしか欲求を解消できない人は、それを我慢できない人は、これはもう閉じこめる以外に道はないです。そんなやつに自由を与えるほど社会は寛容じゃない。是非は置いといて、あるいは手術などで器質的な原因をどうにかする。 そのほかのケースについて。 こういうことですよね。「現実と空想の区別がつかないから犯罪行為をするんだ」と「批判する人」のほうが区別ついてないんじゃないの? と、わたしは言いました。「創作する人」のほうが区別ついてる、とも。そして you_feel_so_good さんは「消費する人」はどうなのよ? と疑問を呈しました。 you_feel_so_good さんは「受け手のマニュアルになる可能性があるからポルノは危険かも」という立場ですよね。 「ATMを重機でぶっこわす犯罪のマニュアルはテレビですよ。テレビ禁止!」みたいな。俺もそう思います。すげー心配です。 規制には意味ないんじゃないのと言った手前、そうでなかったらどうしようとビクビクです。 中には犯罪のマニュアルになってしまった創作もあると思う。だけど禁止することが根本的な解決じゃないんじゃないのかな、他の方法はないのかな、と思ったのでした。 ATM重機盗は模倣が多いと思うけど、中には報道によって防御して犯罪が成立しなかったケースがあったかも。それはニュースにならない。 報道は犯罪のマニュアルにもなるし、同時に犯罪防止のマニュアルにもなる。なぜ創作が別扱いなのか疑問なんです。創作だって犯罪を起こす動機と、起こさなかった理由のどちらにもなるじゃないですか。 物語には犯罪を助長する効果だけしかないのかな、素晴らしいものでもあるのに。 それと、幼児に対する性欲って模倣するようなもんでもないと思うんですよ。そんなにマイナーな性癖ではなさそう。 もっと創作を。「創作物の規制などというものは無意味であり、その受け手の教育をまず怠るな・・」っていうのはだいたい合ってます。規制によって状況は変化するでしょうが、被害者が減るのかどうかはわからない。根拠はないが、減らないと思っています。 で、教育って言葉をお使いになりましたけど、教育機関を頼るわけではなくて、創作物を読んだり観たり聴いたりすることによって受け手を変容させるはたらきに期待しようよ、っていう感じなんです。教育というより、創作物を工夫することで受け手をコントロールできるかもよ、っていう。 そのためには受け手の読解力想像力が必要なんだけど、それについては後述します。 成長物語を読んだら成長したような気になるじゃないですか。それは勘違いなのかもしれないけど、勘違いでいいんですよ。どうせ人生すべて勘違いっすよ。 「そうかー他人を傷つけたら痛くて嫌なんだー」っていうことを学べる機能性食品みたいな機能性物語。それを目的で作ったらたぶん面白くないんだけど、実際そういうふうに機能してる創作ってあると思うのね。 人類が創作をたくさんすることで創作は進化してきた。 もっと物語を。わたしたちは現実の世界から影響を受けるのと同じように、架空の物語から得がたい経験を手に入れます。架空の物語を創作するときに現実世界の影響があるのは言うまでもありません。 現実の事件はデリケートだし、俺は自分を素で見つめるのが怖いから、この世界の反映である架空の世界を通してこの世界を見る。 そういう関係があるのに、規制をしてしまうとせっかくのいい影響もなくなってしまうんです。 いい影響なんてあるの? と思われるかもしれませんが、たぶんある。 『完全自殺マニュアル』で「うわー自殺ってめんどくせー」と思う人だっているわけで(ここでは自殺=悪という一般的な価値観での)。 戦争しちゃダメだからって創作に戦争を描けないとしたら、戦争を知るチャンスがなくなってしまいます。戦争はまだいいです。戦争を知っている人が世界中にいくらでもいるから、その人に話を聞ける。でも性犯罪の被害者に会いに行って話を聞くわけにはいかない。物語は現実に足りないものを補う機能もあると思うんです。 戦争の記憶だって創作に反映させることで、より広めることができます。 あと、物語にすることで、わかりやすくすることもできます。 規制をするのは、いい影響より悪い影響のほうが多大だと証明できたときだと思うんですね。もし悪い影響が大きいなら you_feel_so_good さんの言う通り。規制に意味があります。 規制をすればどちらの方法だと被害者が減るかわかるから、実験にはなりそう。その実験結果は知りたい。だけど犯罪に関するものだから結果がわかんないのに実験するのはどうなのかな、とも思う。被害者が増える可能性を考慮しない規制は困る。 読解力を。創作上の犯罪を嫌だと感じる人と、真似して実行しちゃう人の違いは、受け取り方です。同じ作品でも人それぞれの受け取り方があります。人道的に許されないような犯罪を描いた創作もあります(もちろん現実の事件も)。俺はそれを読んで嫌だなあと感じる。それを助長するような書き方をしている作品があったとしても、やってみようと思わず、やっぱり嫌だと感じる。 きっと、やってみたいと思う人が世界のどこかにはいるだろうとも思う。 それは読解力なんですよね。(ちょっと関係しそうな自分の記事) どんなクズみたいな創作物でも、どんな素晴らしい創作物でも、それがどんな影響を与えるかはわからない。クズも名作も違いは大してないんですよ。影響力の大きい作品は、いい影響も悪い影響もでかい。 いい影響が大きいと、悪い影響がチャラになるの? そんなこと言ったら、悪いほうの影響で被害者になってしまった人の立場はどうなるの。 こないだも江戸川乱歩の作品に影響を受けた(と容疑者が供述した)犯罪がありました。普通は実現しようなんて思わないのに、する人がいるらしい。 戦争は嫌なことだと訴えたいとき、戦争反対って叫ぶだけが方法じゃないです。『スターシップ・トゥルーパーズ』(1作目)は「戦争ヤッホー!」っていう映画なのですが、あれを観て「戦争ヤッホー!」って思うやつはたぶんいません。「戦争はいけないことだ!」って思うかというとそうでもなくて、すべてが無意味に思えてくる名作なんですけどね。 さだまさしの『関白宣言』って男は弱いから威張るくらいしかできないのよ、って歌だと俺は思うんですが、歌詞をそのまま受け取って、男尊女卑の歌だと思ってる人もいます。 you_feel_so_good さんが教育という言葉を使っていましたが、キッズに対して読解力を教育するのは役に立つと思います。ただ、上で言ったみたいに、わたしは読解力は都合のいい勘違い能力だと思ってます。正しい読み方なんていうのはなくて、時代や環境や文化や育った場所やそのときの気持ちに左右されて、各人によって、読むごとに変わるものだと思います。 現実の事件や、創作物を、どう理解しようとどうせすべて勘違い。ただ、その人が所属する社会で役に立つ読み方や、あるいは害になる読み方があるっていうだけで。 犯罪っていうのは、善悪の基準じゃなくて「法律に従うか背くか」のものさしで決まるものです。 犯罪を減らす方向の読解、勘違いをするようにキッズを誘導するのは大人のエゴですが、エゴだと自覚しながらキッズを誘導するのが大人です。 たぶんそれをしつけと呼ぶんだと思います。読解の方向性をしつけるだけで、現実の事件や創作物は、いいものにも悪いものにもなります。 キッズの役目は反抗することですが、そのうち薄汚れて大人になります。いつまで経っても薄汚れなかったキッズは子供をしつけられず、可哀想なことになります。 所属する社会に適応するようにキッズを育てたいと大人が思うのは、勝手だけど仕方ないことです。これを否定する人は何かを規制しようとか禁止しようとか言わないすよね。 もっと想像力を。マニュアルなくても自殺するやつは自殺していたわけだし、強盗してるやつはしているし、強姦するやつはする。犯罪っていうのは割に合わないです。メリットよりリスクが大きい。 そのことは想像力と判断力さえあればわかる。今日は道徳的なことを書いちゃってなんかムズムズしてるんですけど、犯罪起こしたいやつは起こせばいいっすよ。でも捕まるよ。 自分の経験ですが、想像力ってやっぱり創作、架空の世界、物語で養われるところが無視できない。 想像力があれば起こさずに済む犯罪もあるのに、物語を規制して想像力を育むチャンスを制限してしまうのは悲しいのです。 みんなにもうちょっと想像力があったら、と思うとやりきれない。 汚いもの厭らしいもの全部を即刻キッズに解放せよ、って言うんじゃないです。言ってみたいけど。バランスをとって保護者の責任で順々に解放すりゃいいんじゃないすか。キッズが大人になったらもう世の中のものを隠しておけませんから、そのときまでには全部リリースしておかないとです。 そのためには住み分けが必要で、見せたくないコンテンツはそのへんに置いておかない、っていうのはすでに実現しているような気もするし、住み分けをもっと強化するっていうなら、それはもう別の話になっちゃいますよね。 現実。おっしゃる通り、もう受け取り方が凝り固まっちゃったら手遅れの可能性が高い。いい歳をした人間の受け取り方を変化させるのは難しいです。でもそいつらから創作物を奪うのもたぶんやばいです。まだ固まっていないキッズがそうならないためには、「犯罪は嫌だなあ」っていう受け取り方をするよう育ってもらうためには(つまり大人たちの都合がいいように調教したいなら)、創作物を規制するよりも、悪い見本がいるわけですから、そいつらを憎んだり気味悪がったり見下したりするように仕向け、そうじゃない方向へ誘導することもできるじゃないか、と思うのです。 空想。ここから先の自分のエントリ架空の人物の人権と、彼我の世界の関係についてに関連した話題に戻ります。こないだ大谷昭宏が「フィギュア萌え族」の犯行だ、と言った事件では、粗暴で無思慮なペドフィルらしき人物が逮捕されました。萌えとは逆の方向性です。肉体への執着を捨てられない人物です。 世間では、現実世界から逃避して創作物のキャラクターを愛する人物を指して「現実と空想の区別がつかない」と言うようです。 わたしは違うと考えています。 現実の存在を傷つけたくないから空想と関わるケースが多数だと思います。そうだとすれば、現実と空想の区別がついているのが、彼ら架空の存在を愛せる人々です。 例の事件の容疑者は、自分の妄想を脳内に押しとどめておけなかったために犯罪を起こしました。彼の欲求を満たすには、形而下の世界を操作する必要があったわけです。そして彼のフィクションは、現実に侵食しました。 性欲を解消するときに、他者の肉体を必要とする。 これこそ「現実と空想の区別がつかない」の最たるものですよ。 はい極論出たー。 でもそうせざるを得ないんなら、相手を得たいんなら、それは想像力を活用して相手を傷つけないようにしなくちゃ。という話でした。
by exitemegane
| 2005-08-30 09:25
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