ごあんない
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リンクたどってブログ読んでたらいつのまにか2002年とかに書かれた文章を読んでいて、ちょっとしたタイムスリップを味わった。そんで2年前くらいのことを調べたりしてた。現実逃避。
世の中に追いつくのにまだしばらくかかるなあ。 ブログ始めたのが6月で、そのときも世の中から2年遅れくらいの話題を考え事していたので、ぜんぜん追いつけてない。 関係ない話だけど、なんでわかりにくい言葉と言い回しを好む人が多いのかねえ。 あーそうか。なんとなくわかった。わかったけど説明しづらい。 「わかりにくいんで特攻野郎Aチームに例えて説明してくれませんか?」って俺としては言いたいけどそれはいくらなんでも無茶っていうことに気づくか気づかないかってことか。 難しい文章を読んで知識を得ると、消化して誰かに説明するときも難しくなっちゃうのだろ。 要するに俺がお呼びでないでないってことだ。 お呼びでない俺としては無責任に左脳では読めない文を書こうっと。 脳から垂れた汁を鮮度そのままにお届けですよ。 話し言葉と書き言葉を一致させる行為と似ていますね。似ているけど逆でもありますね。 たぶん誰かに何かを伝える気がねえ、ってことでは難しい書き方をする人と俺は同じだと思った。 そんでまあ冒頭で調べてたことの発表。 ミステリといいますか推理小説。 きちんとした定義がある言葉だと思うんですが混同しますよ。 推理するためには、まず必要なことがひとつ。 作中で、世界はここからここまでですよ、っていう線引きを前提しなくちゃいけないわけです。 じゃないと材料が全部揃ってないパズルになってしまって、そんなものは卑怯って言われてしまう。 作者が犯人とか読者が犯人とか編集者が犯人とか困るっしょ。 えー、登場人物一覧に出てねえじゃん!って言われる。 だから普通の推理小説は名探偵が推理を開陳する直前までにヒントが全部出されている。話のわかるヤツだ。 つまり(単純にするために人物に限って言うなら)、作品世界は登場人物一覧の内側にしかないんですよ。 時刻表のトリックだったとしたら、テレポートする人とか、ワープする人(飯野賢治)が出てきちゃ全部ぶち壊しなわけです。そういう常識を要求する意味でも世界を閉じなくちゃいけなかった。箱庭にしないと、収拾がつかなくなって、美しくない。 だからこそ常識と思っていたことを覆す快感を備えた小説に人気が出たりするんですが。 ずいぶん以前からセカイ系というくくりがあるのを、最近知った。ひょっとしたら今ではそう呼んでないのかもしれないですけど、今でもその流れは途絶えてないと思う。 ご存知の方も多いと思いますし、説明めんどくさいし微妙に揺れてるんで意味と用例は検索してください。 小説においてのセカイ系のありかたは、ミステリの形式をとることが多いようです。 世界を閉じたものとして扱うために、ミステリとの親和性が高かったのだろうと想像。 お話を作る上でなるべく単純化する意図でわざと社会を描かなかったとか、社会との断絶はひきこもり文化だとか、社会に参加する楽しさとかメリットが伝えられてないとかそもそも薄れてるとか、世界との同一感は何の影響だとか、説明はいろいろな切り口で可能だと思うのですが、犯人探しじゃなくて、動機が知りたいんだよね。これの需要がなぜ生じたかを知りたい。だいたい現実世界は判断材料がすべて提示された理想的な世界じゃないので限りなく共犯っぽくてもどの答えも正解じゃない気がする。 需要の理由は、全能感を得たい欲求だと考えるのは安易すぎでズレてるかもしんないんだけど、とにかく世界が閉じるっていうことに対してみんなが奇妙な感情を抱いてると思う。終末は恐ろしいけど同時に安堵をもたらしてくれるので期待してしまうような。 古きよきアニメなんかだと登場人物がやってくる終末に対して抵抗したりするんだけど、最近のは、あえて終末を受け入れるような、そんな立場なのじゃなかろうか。 だとしたら根っこは別に何も変わってない。ツッコミ忘れの漫才みたいな、変則的ではあるけど、ありがちな変則じゃないか。 従来の創作では、世界を閉じるとするならばその理由は話を収めるための方法としてだったわけですが、そういう類の創作においては、世界を閉じることが話の核心になっている。 どうせ自覚的にそうしてるんだろ、と思ったらどうでもよくなった。多くの場合、手段って目的になっちゃうものじゃないか。 ただ、そういう作品のユーザの意見の中に、特定の程度の低い(と、その人が思ってる)作品を差して、あんなのはエヴァの後追いですよ、みたいなのがあった。そう評した人は否定的に言ったんだろうけど、無自覚な後追いがはびこることをイメージすると、ゾクゾクして気持ちがいい。だってみんなが想像したら世界が終わることが当たり前になるかもしれないじゃん! 一部の自覚的な創作者がいて、儲かるから、人気だからという理由で真似っこする商売人がいる。そのうち腕の立つやつが、模倣の芸を見せたりもする。 無自覚な後追いのコンテンツのパロディとかトリビュートとか、そうするうちにいつのまにか何だかわからなくなって、朝起きて夢から覚めて結局世界は終わらねえじゃん繰り返しが永遠に続くんじゃんって溜め息をついたりする。そんな記憶をわりとみんな持っていません? なので、さっきのどうして需要があるかという疑問がなんとなく解消され気分。無数に創作された世界がつぎつぎと消費されていくような世界では、ぐるぐる回りつづける不安があるので、終末の安心感がエンターテインメントなんだと思った。あれ、でも20年くらい前、すでにそういうのなかったっけ? セカイ系とされるものを、別に好んで消費してるわけじゃないです。でも職人が供出する娯楽なので、すげえなあと思う。 それに比べて、語呂だけでタイトルにワンダーランドって入れてみたり、自分が最近知ったからってみんな気づいてるようなことを整理せずにわかりにくく書いたりする俺は本当にどうしようもねえ。最低。気持ち悪い。
by exitemegane
| 2004-10-03 07:06
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