ごあんない
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もらったフレーバーつきの中国茶の存在をすっかり忘れていたりする。
そのお礼を伝えるのをすっかり忘れていたりする。 いつのまにか見なくなっているテレビ番組。 埃をかぶった食玩。 悔しさ。 友達。 ふだん通らない道。 花が咲いたこと。 誰かに対する感情。 中国茶があったことを思い出して淹れてみると、そうだ大してうまいわけじゃなかったよなと感じた記憶がよみがえる。 #
by exitemegane
| 2006-03-15 02:25
| 日記
CD劣化してガックシっていう体験をしまして、まあたとえばセレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム 2のWARP盤が逸してしまったのですが、実に盤面がチャチかった。見るからにCDが薄かった。
なんだ別のところから出てるのか、買いなおすか。アナログというのもありだなあ。 そんで、こないだ買ったAnalogue Bubblebath 5がですね、どうにもCD-Rであり(リンク先のはアナログ)、まったく同じ事態が予想されるので何らかの形でバックアップをとりたい。 ハードディスクに丸ごと保存するしかないのでしょうか。 #
by exitemegane
| 2006-02-27 07:59
| 日記
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by exitemegane
| 2006-02-24 11:39
| 日記
Sankei Web 産経朝刊 国民生活時間調査 テレビ/見ない20代男性、2割超す(02/21 05:00)
以前だったらこの記事を見て何か言いたくてしかたなかったと思うんだけど、いまや心が微動だにしません。 それはおそらく、テレビの悪口を言わなくても精神を安定できるようになったからだと思う。 ちょっと前までは憎しみという形で愛を表現したかったわけですが、現在ではそれほど興味がないっていうか録画する番組も減ったっつーか日曜日の朝に1時間半テレビ見るよっていうか、そうするとわたしは能動的に週3時間程度ですね、視聴時間。 アカギと蟲師とエウレカとスーパーヒーロータイムと、あと適当にニュース。 もっと昼ドラを見たいのだけど録画溜まるともう見なくなっちゃうからなー。 詳しく知らないんだけど、この調査はウェブブラウジングの時間は統計とってないのでしょうか。 ライバルはそこだと思うのですが、あえてライバル視してないような気がしないでもない。 あー PDF があった。 趣味のインターネット利用(ブログ書くのも含む)はどの年代でも1日に1時間未満。 女子より男子のほうがインターネット利用が多い。 特に週末の20代30代男子。えろいぞ。 「ながらインターネット」と「専念インターネット」の比率は1:3。 そのうち「テレビ見ながら」が多い。 やっぱ「ながら」は一部であり、インターネットはテレビの敵なのかも。 ここでとりうる戦略としては、「ながら」の割合を増やして共存するっていうのもひとつありますよな。 疑問点としては、わたしは統計のことをよくしりませんが、山なりにきれいに分布していないだろう現象をですね、ふつうに合計して割って平均とってもしかたねえんじゃねえのと。 インターネット使わない人はゼロだし、使う人は常時なので、たぶん真ん中が谷になってんじゃないかと予測するけど資料を探さない。 平日の散歩が増えて休日の散歩が減っている。平日休みの人が増えてんのかな。 お、休みの曜日の傾向もあった。その通り、土日休み減ってるんだ、ふーん。 音楽を聴く時間は減ってるんだけど、年配層と若年層の幅が縮まってきてる。 いろいろ面白いのでなにか気の利いたことを言いたいけど無理。 統計から何か導き出してもたぶん嘘になるっていうか偏った見方になりそうな感じだよ、おれがやっても。 #
by exitemegane
| 2006-02-21 14:41
| ニュースから
携帯電話鋏や自転車に例え、道具は身体の延長と申しますが、 携帯電話に関しては、 通話中、相手の身体が手元まで延長してきているような イメージがあります。 だからこそ 嫌な内容の電話のときは叩きつけてる人がいるのかなと。 固定電話の受話器でもいいけど、 それより携帯電話のほうがイメージ強い。 こう考えると携帯電話って 相手が憑依する媒体、ミディアム、依り代。 複数台の携帯電話を持ち、 LOVE定額みたいなサービスを複数人と結び、 携帯電話と相手を1対1で対応させると、 所持している人は個々の携帯電話という物体に対し、 どのようなイメージを抱くのだろうなあと思った。 相手のひとりが物故したら、 その人に対応する携帯電話は、墓所となる。 あるいは死者が携帯電話に乗り移らないのは、 なぜだろうと思った。 肉体を喪失しているからかな。 身体がなければ、そもそも身体の延長にはなりえない。 ブログ実感はわかないけど、故人のウェブサイトも墓所みたいなものなのかと。 故人の携帯電話番号に連絡しても契約切れたりするでしょうが、 ウェブサイトのほうが、まだ残りやすいかな。 故人の留守電にメッセージを残す、 故人のブログにトラックバックしてみる、 なんかそういうことをしてみたい。 ブログって書いてる人本人そのものじゃなくて、 出張所みたいなものじゃないですか。 全人格が表出していることは少なくて、 ある一部分が析出していることのほうが多い気がする。 外部から解釈しやすくなってるわけよね、整理されて。 本人の生前から、 なんとも墓所の機能を持たされているのだなあと。 こうして入力している1バイト1バイトが自分で書いている墓碑銘であり、死後まで残す爪痕なのかと。 その先今までは、身体の延長って、物理的なっていうか、手に持つ道具だったりしたわけですよ。 しかし、これからは純粋なデータや記号や形而上の何かまでを 身体の延長として認識できるんじゃないかとか、 あるいは他者の身体の延長までもを 感じ取ることができるかもしれないとか、 そんなふうに思いますっていうか願望っていうか、 そうなったら楽しいのにな。 そんでわたしたちは、 身体を延長させて、 それを相互に接続しあい、 融合しあい、 混沌の大海へと還ろう。 やー、楽しみにしていたテレビ番組を見損ねたんだけど 友人の誰それが見たって言ってたから、 それならば俺が見たのと同義でありオッケー。 そんな世界を待ち望んでいます。 情報そのものを共有しないでも、 誰かがそこに触れていれば、 それだけで接続している人にも情報が行き渡っているのと 等価っていうことにしましょうよっていうか、 ある価値をひとりが持っていれば、 全員がその価値ぶん高められる、 それは相互に行われる、 個の価値を全体の所有するリソースとする、 そんなふうになることで、 人間は矮小なことから逃れられるのかなーと思った。 身体と感覚と思考と価値のオープンソース? この項、あとで読んで自分で意味がわかるかどうか すげえ興味深い。 今は、完璧に自分で理解しているんだけども。 どう見ても寝言です。よろしくおねがいします。 #
by exitemegane
| 2006-02-21 09:42
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