ごあんない
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幻獣展にはクダンの絵がたくさんあった。
クダンというのは、人牛だ。人の顔をしていて、体は牛。ミノタウロスや清水ケンタウロスと似ているね。 ニンベンにウシでクダンって読むことからそう呼ぶのか、その順序が逆なのかは知らない。 小松左京の小説には、そこまで書いてあったかもしれない。よく覚えていないけど、結局何ひとつ書いてなかったかもしれない。 さて、日本には、昔からクダンというのが、たまーに生まれることがある。 でも、1回や2回じゃないんだな。わりと広範囲でクダンの話や絵姿が残されているから。 クダンというヤツは、生まれて、そして予言をしてすぐ死んじゃうのだ。 すぐ死んじゃうヤツは、遠くに連れて行ったりできない。 それが広まっているっていうことは、ヤツはいろんな時代、いろんな場所に何度も何度も生まれているってことなんだろう。 予言をするということは、ヤツは人間の言葉をしゃべる。体は牛だが、顔が人間なのだから、まあ言葉をしゃべっても不思議ではない。 クダンが予言する内容は、だいたい似通っている。クダンは自分を見つけた人に対して、だいたい次のようなことを言う。 「これから数年間、この地は豊作に恵まれる。ただし伝染病の流行もあるので気をつけなさい。私の姿を目にした者は被害に遭わないだろう。だが私はすぐ死んでしまう。そこであなたは私の絵姿を描き、これを見せることで皆を救いなさい」 その人は、クダンから言われたことを、皆に伝える。そしてクダンの絵姿を大勢に配った(のであろう)。 これがクダンの話の典型的な内容だ。 むちゃくちゃ不安にさせるかわりに、さらっといいことも言う。こういう形式の予言が、世に広まる予言なのかもしれません。 何かに似ていると感じませんか。 最近話題の、新宿駅前なんかの手相見人相見も同じ。急に話し掛けてきて、すばらしい相だとほめて「詳しく見るために一緒に行きましょう」と、どこかに連れて行かれる。そして二度とその姿を見たものはいない。 人を不安にさせるだけじゃ商売にならねえんだなあ、という教訓が読み取れる。いっぺん持ち上げないと。 クダンは時代や場所をこえて何度も生まれる、誰の目にも見えないところで。そして最近のクダンは、かなり凶悪だ。昔のクダンは、たぶん絵姿を売るだけなのだから、大した金額じゃなかっただろう。何々すれば助かるよ、って言って、そのコストが半端じゃなくインフレを起こしてる。 ノストラダムスの大予言において五島勉がやったのは、ちょっと逆だったかもしれない。 世紀末に人類は危機的な状況を迎えるが、その後未曾有の発展を遂げるだろう、と彼の本には書いてあった。意外と世間に知られてないでしょ、破滅以外の予言。 不安を煽って商売していることは同じだが、幸福と災難の順序が逆で、来世紀に結構いいことあるよなどと、不安に駆られている読者を安心させるようなことを言っている。 これは、ほんの少しの著者の良心だったのかななどと、今さらにして思った。五島勉の本なんか、べつに大した金額じゃないしさ(出版社は金儲けのためにあさましく続刊させたと思うけど)。著者がそのあと壷売ってたなんて話も聞かないし。まあ不安商法ってだけで地獄行きだけどな。 カバラ数秘術でいうと、こうなる。 五島勉(5)+予言(4)=クダン(9) ということで、実は五島勉はクダンだったんだよ! ええー、おれたちはまた思い違いをしていたー!! 犯罪的な宗教に全財産持っていかれてる人は助けなきゃいけないが、お小遣い程度の金額でささやかな不安を解消している人は、目くじら立てて指摘したりせず、こういうことは黙っているほうがいいのかもしれない。 だから、このような内容のことを、あなたは誰かに言ってはダメだ。 私の絵姿や言葉を誰かに伝えてはいけない。 だってバイトだから。
by exitemegane
| 2004-09-04 21:16
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