ごあんない
以前の記事
タグ
検索
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
自分語りという単語が使用された頻度のグラフを見ると、とくに上下があるわけでもなく、
どっから自分語りになるのか。 うざがられているのは、たぶん知りたくもないそいつの具体的な考え方や体験談なんだろうけど、個の発する情報を完全に混入しないなんていうことが果たしてできるのかしら、とちょっと思った。 あえて、極力自分を出さないことの価値もあります。その一方で、主観が入ってないと無味乾燥になるよねえ。 人が歩いているね 人が軽やかに歩いているね お皿に果物が盛ってあるね お皿においしそうな果物が盛ってあるね 前者はなるべく状況を説明するだけ。後者には、視点がある。 ここで、後者はすでに自分語りになっていると言えなくないか。 装飾する言葉は、かなり書いた人の汁がにじみ出る。 自分の印象が入ってる。 どう頑張っても主観は入るわけで……。ごめんなさい、また極論を言ってる気がする。適度がいちばんなのでしょう。 独特な比喩が好きです。 独特な比喩は、書いた人の特徴をよく表すし、センスのいい人を判別する基準になりそうだから。 あと、同じものをなんと呼ぶか、名詞の選び方とか。「犬っころ」と「ワンちゃん」では、ずいぶん違う。 そう考えると、「標準からどれだけかけ離れているか」と、「その偏りっぷりが好かれるかどうか」で、自分語りか否かが決定するのかなと思いました。おしっこ我慢しながら思いました。 と、ここまで書いて、あれー俺、具体的経験とその人が個人的に得た印象をごっちゃにしてるよーと思った。 いいじゃん、同一だよ同一。
by exitemegane
| 2006-01-28 23:21
| 暮らしについて
|
ファン申請 |
||