ごあんない
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ふつうの人は小説つーか創作の中に没入している時間より、現実で生活している時間のほうがはるかに長いので、そりゃあ小説の中で体験する奇より、現実世界で体験する奇のほうが多いわな。
もし小説を読むことしかしない人がいたら、そのぶん全体験中における現実での体験の割合が低くなるわけだから、小説のほうが奇になりそうだよね。 あとは現実と小説と、どちらが奇の発生頻度が高いか。そして、どちらの奇のほうが珍しいものなのか。 ちょっと待て、珍しくない奇は奇じゃないよな。 うん? 小説の記述は、必ず現実の体験をもとにして制作されるがゆえに奇たりえないということなの? ということは、「小説に奇無し」になりそうなものなんだけど、そういう言い方をしないということは、奇は人間の脳で作ってもいい、条件は満たされるということだよね。 もっと突き詰めると、現実の事件を起こしているのも人間の脳あってのことなので、やはり小説の奇も現実の奇も等価値と言っていいはずだ。 と、するならば、現実、小説、それぞれの奇の発生頻度と、観測者がどちらにどれだけ比重を置いて観測しているかさえわかれば、「事実は小説より奇なり」の言葉が通用するかどうか決定すると思うんだよ。
by exitemegane
| 2005-10-17 00:14
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