ごあんない
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インターネットにカリスマは生まれるか。局地的な、同じ文化圏のうちならば内輪だけに賞賛され尊敬される存在というのは、今でもあるんじゃないかと思う。ただその団体の外部の人間の視点を知ることができるわけだ、インターネットでは簡単にそれが可能だ。
違う見方を提示したいっていう、悪く言えばあまのじゃくな人がいる、これはいなくちゃいけない存在で、その違う見方があるかぎり、完璧な人間は生まれ得ない。 人間は幻想を相手に求める。人間は相手を完全に理解できないから幻想を作って相手と対峙する。英雄は愛すべき欠点くらいは持っているかもしれないが、それも含め完璧に英雄を演じないとなれない。 しかしウェブは多数の人間の視点によって得た情報の集積なので、生きている人間に対して従来のように単純な幻想を抱けるものではなくなっている。どんなかっこいい男だってハナクソ食うじゃん? 自分の視点だけだったらハナクソ食うところを見なければすむ。あるいは見ても、見なかったことにすればいい。だけど世界において情報の価値が上がるにつれて、見ないフリはだんだん難しくなっていく。 英雄は一般人になって、一般人は全員が自分がハナクソ食うところを見られないように怯える。 つい最近まで、今もか。ヒーローは商売のために生み出されている。本人が本物か偽者かは関係ない。金の卵を産む雌鶏としてのヒーロー。そしてこのヒーローは同じように商売の都合、経済的な理由で殺され、落ちていく姿によって最後の卵を搾り取られる。 マスメディアによって。資本主義によって。 べつにハナクソ食おうと食うまいと英雄がいずれ失墜する運命のもとにあるのなら、その位置エネルギーを横取りする水力発電みたいなものかもしれない、マスメディアは。そしてそれにつらなる視聴者は。つまり人間の残酷な好奇心と無思慮と無自覚が英雄を殺している。 情報化が進むにつれて英雄はだんだんサイズが小さくなっていく。相対的に英雄とそれ以外の人物のサイズが近づく。それにはリアリティの問題もある。 求める英雄像は、時代の気分によって変わるわけだけれど、マスメディアはそれに適した人を見つけたりでっちあげたりする役目にあるだけなんだ。それができるのであれば、俺だってそれをする。別に悪く思ってはいない。ただ、これから英雄を作るのはどこかの黒幕でもなければ、新聞でもテレビラジオでもなく、高速なレスポンスを誇る口コミなんじゃないかと思う。 生まれたときにこういう特性をもつメディアが存在しなかった世代は、この世界を渡り歩くための技術がない。おっかなびっくり手探りで歩いている状態だ。しかし物心がついたときにインターネットを空気のような存在だと認識している(あるいは空気と同じようにふだん認識すらしていない)世代はどうだろう。 特性と能力を最大限に引き出して効果的に美しいダンスをするやつが近い将来現れないとは限らない。母集団が増えれば奇跡という名の偶然を手に入れたも同然だ。 そしたらそのときこそあいつや、あいつらが死ぬときだ。ついででいいから、俺も殺してほしい。これはぜいたくな願望?
by exitemegane
| 2004-12-12 23:34
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